翻訳の仕事についての情報です。

翻訳の面白さとは何か

最近は海外文学でも面白いものがすぐ日本で読めるようになり、書店は多くの翻訳文学で溢れています。日本には明治時代から翻訳文化があり、現在でもそれに魅力を感じる人は多いものです。海外文学は原書で読めば一番理解が深まるとも言われていますが、翻訳だからこそ分かる魅力というものもあるのです。明治時代は、海外文学の舞台を日本に置き換える翻案が多く行われていました。これは、当時の日本人がまだ外国の文化に疎かったせいであり、現在はこういった翻案は全く見られません。大正時代になってから忠実に訳するようになり、それからというものどれだけ美しい日本語に変えられるかが課題となってきました。翻訳家には、大きく分けて二つの種類があります。一つは学者系統の人で、研究書や、当時の文化や政治的な背景を知っていなければ注釈がつけられない、しかもそうした注釈が絶対必要な文学を訳します。19世紀以前に書かれた文学は、ほとんどの場合こちらの系統の人が訳していると言ってよいでしょう。もう一つは作家系統の人で、現代の小説を訳します。この場合、日本語の表現を仔細に渡ってこだわることが多く、例えば一人称は僕なのか俺なのかで、非常に悩むことも少なくありません。また、現在は作家として知られている明治、大正の知識人もこちらの系統に属し、直訳ではないが風情は残す表現や、大胆な訳し変えが現在でも残っているほどです。更に最近、前者の翻訳を作家が書き直すという動きも始まっています。学者系統の人は、語彙も豊富で簡潔な文章を書くことが多く、現在の作家が書くような面白味に欠けると指摘する人も多くいました。そこで、現在の人気作家が、原書ではなく学者系統の人が訳した本を改めて書き直し、改めて出版するシリーズが現れました。19世紀以前の本は、登場人物の話し言葉も総じて固いものですが、現代風の言葉にアレンジされ、現代の読者にとって非常に読みやすいものとなりました。この点では、明治時代に人気だった翻案が、再び現代の世界に蘇ったものと言えるのではないでしょうか。このように、海外の文学には多くの楽しみ方があります。そのためこうした世界に非常に魅力を感じ、将来的に翻訳家になるために努力している人も少なくありません。これからも新しい世代が、どのように原書を解釈し、現代の読者のニーズに合った日本語にそれをアレンジしていくかが、非常に期待が持たれています。